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    旧陸軍飛行学校

    10-23,2011

    市内地図を握りしめ
    主さまとご近所お散歩デート。
    お昼ごはんを目標にしないと
    重い腰が上がらない二人・・・

    お腹がいっぱいになったところで、
    途中で見つけたショッピングモールに寄り道。
    ずっと探していた大き目二つ折り自転車発見!
    調整してもらって、その足で早速サイクリングに出発。
    目標は町外れのサイクリングロード。

    途中、旧陸軍の飛行学校跡の看板を発見。
    道路から入ったところで小さな看板が一つだけ。
    自転車でないと見つけることができなかった。

    飛行学校は、昭和12年に開校され、現在でも
    木造の守衛所・車庫・営庭・本部兵舎・弾薬庫などが
    そのままの形で残されており、当時の写真や手記なども展示してある。

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    昭和20年には特攻隊の訓練基地として使用され、
    陸軍初の練習機による特攻隊が知覧に向けて出発、
    出撃しており、この特攻機の整備員だった方がいらっしゃって
    直接お話を伺う事ができた。

    当時は、寮生活で皆が一緒に暮らしており、
    一人一人のこと、残されたご家族のその後の人生など
    涙を流しながら話して下さった。
    今でも、亡くなられた隊員さんのお墓参りをされ、
    毎年、千鳥ケ淵戦没者墓苑で手を合わせておられる。
    その度に新しい涙が流れると仰って。
    何十年も前のことだけれど、少しも古びず、
    そして生き残ったことを申し訳ないとさえ思う
    その心の底は私に分かることはない。
    遺されたご家族それぞれのその後のお話は、
    主婦である私には耐え難いものだった。
    戦争がなかったなら、違う人生であったろう。

    4時で閉館のため、飛行学校を後にし、
    夕焼けの中、自転車をこいでいると
    重い心が少し風景に溶けた。
    こんな時、自然は優しいとしみじみ思う。

    家に帰り、主人は一人
    私の父がくれた「知覧特別攻撃隊」の本を開き
    今日のお話の中にあった、この地から特攻に旅立たれた
    隊員の方の遺書を見つけ、ひっそりと泣いていた。

    私の祖父は激戦のフィリピンで終戦を迎えた。
    ただ、戦争の話は家族が聞いても一度も話してはくれなかった。
    当事者にとってその後の年月は
    答えの無い問いを繰り返す重い道だったのだろうか。
    こんな風に私が文字にすることさえも
    陳腐で空虚で恥ずかしい。

    私の両親は、私達兄弟を物心ついてから何度も
    知覧特攻平和会館に連れて行ってくれた。
    立派な日本人たれと父はその度に言った。
    行くたびに何度でも涙が出た。
    だけど、今日、生き証人の生のお話を伺い
    その時を生きた人が語ることの凄さに圧倒された。
    逡巡の後、語り継ぐ事を始めた今日の元整備士の方に
    心からの敬意と感謝を贈りたい。

    私は戦争など知らない平和な日本に生まれた。
    天国に生まれてきたようなもの。
    それが当たり前で、自分のことだけに感けて
    たっぷりと時間を使ってきた。
    私の立つこの大地はどれだけの命と苦しみが
    礎となっているのだろう。
    当たり前などない。
    明治以降の日本の歴史を本当に勉強したと言えない。
    全てが恥ずかしい。

    立派な日本人たれ
    父の言葉がこだましている。

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