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    不立文字

    06-13,2012

    間をおかず
    Aさんから返礼のお葉書が届く。
    お茶をしていてもいなくても
    基本をきちんと。
    できそうでできないことを
    当たり前にさらりと。
    教養とはこういうこと。

    何かを習って
    その囲いの中での習いとするのではなく
    基をつかんで振る舞いに活かすこと。
    何を習おうと学ぼうと仕事も然り
    全てが繋がってその人をつくる。

    最近、お茶の教え方について
    違う場面で同じような話を何度か伺う機会があり
    思うこと。
    そう、私も同じようなジレンマに苦しんだ。
    ほんとうのことを知りたくて
    もっときちんと分かりたくて
    それに誰も応えてくれず
    講習に赴いたり違う師を求めたり
    挙句の果てに京都の大元を訪ねたり。
    もがいてあばれるように
    青春の一時期を過ごした。

    学校で勉強を習うように
    お茶を理解しようとしていた。
    真実はこうで答えはこちら
    理路整然とほんとうのことが学べる
    そんな師や場所がどこかにあると
    思って求めたのだ。

    そして、そんな師も場所もどこにもない
    と知ったのはさんざん探し回ってから。

    茶の湯は不立文字。
    利休本人が茶はこうだと書き遺してなどいない。
    その茶に触れた人が
    書き遺したものがあるだけだ。

    全ては解釈。
    どう解釈するかにその人自身の茶が立ち現れる。
    勿論、流派の茶なので家元の解釈は絶対で
    それはあってのこと。
    稽古を重ねて立ち上るなぜ?という疑問を
    やはり稽古で見つけていく。
    こうしかないのだという納得が
    自分の深くで必ず得られる。
    それがその人の茶。
    私が教えられるのは私の解釈だけだ。
    そしてそれを是とするかどうかは
    お弟子さんが自分の解釈をつくる過程で
    ふるいにかけるべきもの。
    絶対では勿論ない。

    誰かが与えてくれるものなんてまずない。
    与えてくれるのはその人のものだ。
    人の解釈を自分のものとするにも
    自分で考える頭と重ねる時間が必要で。
    初心のうちにそれが何か分かるなら
    茶の湯は現代まで残っていない。

    結局のところ、自分で答える。
    わかるまで稽古を続けるだけ。
    いつでも自分が
    その時の自分が持っている全てを使って
    見つけにいく。

    人生の時間を費やすということは
    稽古事でも何でも
    近道なんてない。
    頭で理解してもしょうがない。
    分かった気になっても意味がない。
    続けて求めて本気で探した人が得られる
    それがその人の答え。
    私はそれに辿りつきたい。

    困難でもあきらめず
    たゆまず
    死ぬまで茶の湯と向き合いたい。
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    COMMENT

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    2012/06/20(水) 09:50:27 || # [EDIT]
    豊かな緑の中でお過ごしですね。
    うっそうとした緑の
    濃い香りが懐かしいです。
    ブログ拝見しておりますよ。
    ひとりでいると清かに抜ける風も
    組織となると人の林でぶつかったり
    スカッといかないこともありますね。
    清かな風を知っていることを
    喜んでいつも胸に持てるといいですね。
    貴方は己に厳しい方だから
    浪にもまれてさらにカッコいい大人に
    なられるのでしょう。
    またお会いする日が楽しみです。
    2012/06/20(水) 11:07:47 |URL|wagennaigo #- [EDIT]

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