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    知ること

    07-08,2013

    茶席で上座に座り、
    床を拝見して
    ご亭主に軸のご説明を乞う
    という場面がある。

    自分が分かっていても
    伺わないことは
    ご亭主に対して失礼であり
    連客の勉強にならない
    との声もあって習いとしても
    軸についての
    やりとりをするのが慣例となっている。

    若い頃から
    正客になると、自分もそのようにしてきた。
    そして、稽古でも、業躰先生にも
    衒いなく軸について質問させて頂いてきた。

    「さあ・・・」「言葉の通りでしょう」と言葉を濁す
    先生が多い訳を
    最近になってようやく理解できる気がする。
    年齢と共に
    実感の伴わない言葉を
    使うことに抵抗が強くなった。

    禅語の本も何冊もあるし、
    調べれば意味も書いてある。
    若い頃は衒いなく当たり前に
    調べたことを話していた。

    最近、何となく
    これはこういう意味ですよと
    口にすることができなくなった。
    衒いなく伺ったり、しゃべっていた
    自分の若さが
    何というか、眩しい。

    ご修行した高僧が悟りとした言葉の
    真意など私に分かるはずもない。
    分かるのは私が見つけ出した
    私なりの意味だけだ。
    それだって、一朝一夕に
    気付いたりできない。
    自分の背丈で一つずつ
    少しずつ気付いている
    終わらない旅の途中。

    もともと知識を集めることには
    あまり興味がない。
    知らないことは自分が知るときまで
    知らないでも仕方ない。
    一生のうちで経験できないことや
    本当に実感できない言葉や事柄など
    膨大にあることは承知して
    それを惜しいと思わない。

    いつだって遅くたって
    膨大なうちのほんの僅かだって
    ただ等身大の実感だけをこの手に得たい。
    自分にとっての
    ほんとうをゆっくりでも
    やっぱり私は得たいのだと思う。

    節ノ会にご参加下さっている方が
    ご自分のブログに書いて下さっていた感想。
    茶花の会で触れた一期一会のこと。

    デザートでお出しした
    手作りの蚕豆アイスの中に
    一期一会をみて下さって、
    「一期一会という言葉に
    真剣勝負のようなものを感じていたけれど
    今はそれだけではなく
    とても愛にあふれた言葉だと思う」
    「空間をつくりあげるのは、
    苦労だけでなく楽しみであるとわかりました」と。

    一期一会の中に詰まっている
    愛を受け取って下さった感性と聡明さ。
    この方自身の中に愛がたくさんあるからこそ
    そう思われた。

    ささやかでも
    自分の成したことの中に
    愛を見つけて受け取ってくれる人がいる
    それが最高の喜びだと
    私自身も気付くことができた。

    嬉しくて、ただ涙。

    知らないことばかりでいい。
    自分なりの実感を伴って
    言葉と出逢いたいのです。
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