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    思量分別?

    02-12,2014

    二月に入って
    清心会への問い合わせが多くなった。
    寒さの中にも始動の気配。

    新しく入られた方の稽古が続くので
    緊張を解く柔らかい禅語を選んで
    「喫茶去」を床に掛ける。

    喫茶去は毎度おなじみ
    南宋時代の禅宗史書「五灯会元」に納められている
    禅の言葉で
    唐の高僧、趙州和尚の逸話からきている。

    田舎に閑居して暮らす和尚の元へ
    津々浦々から教えを請いにやってくる者達に
    和尚は毎度同じ言葉を掛ける。

    「まあお茶でもどうぞ。」

    身分・職業・貴賤・老若男女に関わらず
    同じ言葉を掛け、茶を点てるという同じ行為を繰り返す。

    身分制度などない現代のこと
    茶室は、身分も貴賤も好悪さえ
    捨てきった場ということなど
    当たり前で
    頭の中ではわかったつもりでいる。

    自分という一人の人間を見たとき
    日々の暮らしの中で
    誰にでも同じように接することができているか否か

    否。

    もともと人見知りではあるけれど
    苦手な人にはなるべく近づかないし
    好きな人に会うと嬉しい

    私の線引きって何だろう?
    隔てているそこにある価値観って何?
    思量分別って何だろう。
    何を守っている?
    真心ってどんなもの?

    誰にでも同じ言葉を掛け
    同じことを為す
    心と行いに分け隔ても曇りもない
    なんという清々しさ

    恐れという煩悩を手放して
    ほんとうの素直な相に戻れば
    誰にでもできるのかな

    床の前に坐して向き合うと
    生半可じゃない
    この言葉の凄さに圧倒される思いがする。

    茶の道を修業という人がいて
    私は修業なんてこれぽっちも思わない。
    だけど
    修業をした高僧の言葉に触れる機会は確かに多い。

    ふーんと出逢って
    普段は忘れていて
    何度出逢っても
    大きな感慨はない。
    けれど或る時
    我とわが身に照らして
    言葉が大きく伸し掛かってくる。

    40を過ぎてそういうことが多くなった。
    ようやく
    人生と言葉が重なり始めた
    これからもっと
    様々な感慨を得ることができるのだろう。

    歳を重ねることは
    ほんとうに豊かで
    面白い。

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