スポンサーサイト

    -----,--

    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。

    03-01,2015

    一足先に帰る主さま
    空港まではバス移動。
    朝、階下に降りると
    何もないけどと、

    CIMG1219_convert_20150311193427.jpg

    母がお弁当を用意してくれた。
    相変わらず軽やかで手早くて
    頭が下がる。
    母弁当持参で
    笑顔で手を振る主さま
    少しご不自由をお掛けしますが
    も少しふるさとに居させてくれて
    ありがとう。

    ランチがてら
    晴れ家へ

    CIMG1226_convert_20150430144721.jpg

    お店のパートさんのアイデアで
    学生さんたちのアルバムブースができていた。
    累代のお客様に支えられ
    ふるさとの店として
    歳月を重ねていることが嬉しい。

    こちらはきほく庵
    清心会の生徒さんと待ち合わせて
    久しぶりに来てみた。
    今は亡き川九先生の設計。
    中庭も少し侘びて
    パートさん達も変わらずの面々。
    ぬくもりのある接客。
    ゆっくりとお茶を飲む。

    CIMG1280_convert_20150430144735.jpg

    農家の末っ子の父。
    サラリーマンとなり、結婚し、自分の家がほしくて
    職場の近くで売りに出た物件に手を挙げた。
    他にもほしいという人がいて
    その中で父は一番お金もなく若かった。
    それなのに、貴方に売りたいと
    父のできる精いっぱいのお金で
    家を譲って下さったのがキムさん。

    北朝鮮出身の方で、
    そこで焼肉店をされていて、
    家族と共に北朝鮮に帰る為に
    全てを売って
    そしてその中の少なくないお金を
    お世話になったからと
    息子さんが通った小学校に寄付していかれた。
    皆が懸命に生きていた時代
    そんなことができる人は
    日本人にもそうはいないと父は言っていた。
    帰られてからどんな苦労をされたのか・・・

    店舗兼住宅の平屋に
    全ての機材を置いていかれたので
    そのまま商売ができると
    店を引き継いだ。

    父は商売の素人であり、
    調理人でもなかった。
    だから経営を勉強した。
    所属していたのは全国規模の勉強会で
    私が小学校の頃は
    母同伴でよくアメリカに行っていた。
    そこでゴルフに出逢った。
    成行き的に始めた焼肉屋さんから
    まとまった土地を買って
    当時は先駆けだったミニコースのある
    ゴルフの練習場を始めた。
    私も小1の頃はそこでゴルフクラブを振った。
    ある時、後ろで教えてくれていたお兄さんに
    振りかぶったクラブが当たり、流血救急車のショックで
    それっきりしていない。

    父が参加していた勉強会には
    ダイエーの中内さんや似鳥さんたちがいらして
    渥美先生というコンサルタントが
    モーレツ指導をしておられた。
    アメリカでスーパーマーケットを視察したりで
    小売業に感化されたのか
    コンサルタントの先生に
    絶対やめなさいと言われたにも関わらず
    ゴルフ場の跡地でスーパーをオープンし、
    多店化に挑んだ。
    その後も松山にバーベキューのお店を
    一気に数店舗開店したり
    まあ色々やった。

    そして、最後に残ったのは
    億の負債と
    住宅として買った
    古びた最初の焼肉店。

    振出しというよりマイナスから
    再スタート。
    人柄のよいパートのおばちゃんたちで
    きりもりしていた店に毎日出て、
    自分の夢を語った。

    きほく庵の土地を見つけて
    ここに店がつくりたいと佇んでいた時、
    大家さんとの出逢いがあり、
    お金もない中できほく庵をオープンした。
    家の家訓は
    保証人にはなるな
    基本に忠実に生きよ
    保証人がなくても借りられるようになってから借りよ

    借りられないはずが、
    沢山のご縁が繋がって店ができた。
    川九先生は設計料は利益が出てからと。

    負債を全て完済できたのも
    おかげの賜物。
    父は受けた恩は決して忘れない人。
    その当時会社を助けて下さった方々は
    子供である私たちにも恩人として引き継がれている。

    その後も店舗を増やし
    悲喜こもごもあったけれど
    子供の私は両親の人生を
    身体と心で一緒に感じながら大きくなった。
    そして一生懸命に生きた
    両親や会社の人たちが大好きだ。

    こうして生まれ育った故郷に
    帰ることができるのも
    地元に不義理をせず、
    全うに頑張ってきた両親のおかげ。
    私には母のような役割は到底果たせない。
    大人になったからこそ
    また新たにそれがわかる。
    これからもずっと
    その偉大さを数えていくんだろう。

    二人は私の誇り。
    元気でいてくれて
    その背中をみせてくれて
    本当にありがとうね。

    故郷の全てにチャージしてもらって
    今いる私の場所で
    私の為すべきことを
    精一杯やっていきます。

    感謝。





    スポンサーサイト
    |TOP| 商う

    COMMENT

    COMMENT FORM

    • URL:
    • comment:
    • password:
    • secret:
    • 管理者にだけ表示を許可する

    TRACK BACK

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。